うそかえしんじのうそ 鷽替え神事の鷽・・・開運のマスコット
写真1 桜天神の鷽
「天神さん」の名で親しまれ、学問の神様として知られる菅原道真を御祭神とした、全国各地の天満宮、天神社の中には、鳥の「鷽(ウソ)」と関わりの深い「鷽替え神事」を行うところがある。鷽替え神事で配布される鷽は、木材などで鷽の形に象り彩色したもので、神社によって様々な姿の鷽が登場する。その中でも今回は、鷽替え神事と鷽をはじめに、名古屋市博物館所蔵の桜天神の鷽を紹介する。
鷽替え神事とは、毎年1月に行われる開運招福を祈願する行事である。参詣者が神前に集い、授かった鷽を「替えましょう、替えましょう」と声をかけ合いながら人の手から手へと渡して取り替えていく。何度も何度も取り替えていくことによって、前年に起こった悪いことを嘘(鷽)であったことにして、吉事に替えることができるといわれている。鷽替え神事は1月25日の初天神の日に行われることが多いが、鷽替えをせず鷽のみ配布する神社もある。持ち帰った鷽は、お守りとして神棚におまつりしたり、テレビ台の上に置物として飾るなど様々な場所に置かれ、鷽が幸せを運んできてくれるよう願う。
名古屋には三大天神とよばれる「桜天神」「山田天満宮」「上野天満宮」があり、神事の際には毎年多くの人で賑わう。上野天満宮では鷽替えを行っていないが、1月の15日と25日のみ、大中小の大きさが異なる鷽を配布している。鷽替え神事の起源は福岡の太宰府天満宮で寛和2年(986)から始まったものといわれており、神事には華やかな色彩とくるくると巻いた翼が特徴的な木製の鷽が用いられる。(写真2左)
菅原道真が無実の罪で流罪となり、太宰府へと向かう海上で遭難した際に、鷽が船の先にとまり先導して命を救ったとか、道真が愛した梅の木に好んで寄ってきたなどの伝承から、鷽は天神に縁のある鳥とされている。
鷽は雀よりひとまわり大きく、首が太くふっくらとした体がとても可愛らしい鳥である。梅や桜のつぼみなど花の芽や木の実を好み、「フィーフィー」と口笛を吹くような鳴き声も美しく、飼い鳥としても好まれていた。神事に用いられる鷽は雄の色に倣い彩色されており、両頬から喉にかけて淡い紅色をしているのが特徴的である。
写真2 太宰府天満宮の鷽と亀戸天神の鷽
鷽は写真2のような木製の木鷽(きうそ)が一般的である。桜天神の鷽の形は、東京の亀戸天神の鷽(写真2右)に倣って造られたと伝わっているが、木製ではなく土で造られた土鷽(つちうそ)である。土製のものは全国的にも珍しいといわれているが、岡崎市の岡崎天満宮でも土鷽が配布されている。愛知県は土人形の生産も盛んであったことから、土に馴染みの深い環境の中で土製の鷽が生まれたと考えられる。土鷽はこの地域ならではの産物といえるだろう。
写真3 桜天神の鷽
名古屋市博物館が所蔵する桜天神の鷽は、どれも高さが6㎝前後と大体同じ大きさに揃っていることや、毎年多くの鷽が配布されることから、量産が可能な石膏型を使って成形されていると考えられる。また、鷽の顔を正面としたとき、右側面、頭、左側面、底と一条の僅かな膨らみがあるため、顔のある前面と翼のある後面の2つに分けた割型を使用していると考えられる。
土鷽の制作工程を推測し、大別すると1.型成形2.乾燥3.素焼き4.彩色となる。1.型成形では、前面と後面の型に、厚みが均等になるよう素地(きじ)となる粘土を押し込んでいく。押し込んだ素地を型から外し、粘土をペースト状にしたドベとよばれる泥を前面と後面の合わせ目に塗り接着する。この前後を繋ぎ合わせた跡が前述した僅かな膨らみのある部分である。さらに焼成時の破裂防止のため、中の空気が逃げるように底に小さな空気穴を空ける。館蔵品の中には穴のないものもあるため、比較的小さく薄造りであれば、素地表面の細かい穴から自然に抜けていくと思われる。2.これを日陰でゆっくりと完全に乾燥させ、3.素焼きをする。素焼きは一般的に700~800度で焼成される。素焼きをすることによって素地の中の水分が蒸発し、代わりに吸水性の高い素地となるため、絵具が定着しやすくなる。最後に4.彩色で、膠(ニカワ)と混ぜた胡粉(ゴフン)を塗り、色を施す。写真3左の鷽のように、前面の中央付近には鷽の足と思われる黒く細い線が左右に3本ずつ描かれており、木か何かにとまっている様子が表現されている。
制作工程は、作者によって少しずつ異なると思われるが、色鮮やかな翼と頬の色、丸い目をした顔の表情は、どの鷽をとってみてもユニークで愛着の湧く姿に仕上がっている。
桜天神の鷽の最も特徴的なことは、鷽の足下に十干十二支(じっかんじゅうにし)が刻印されていることである。十干十二支(以下、干支)は全60通りあり、鷽が配布された年がわかるようになっている。桜天神の鷽替え神事の起源は大正4年(1915)といわれており、この年の干支は「乙卯(きのとう)」となる。写真4の左端が大正4年の鷽で、右へ順に新しくなる配列とした。
写真4 桜天神の鷽
写真4左端より
「乙卯(きのとう)」大正4年(1915)
「丙辰(ひのえたつ)」大正5年(1916)
「丙辰(ひのえたつ)」大正5年(1916)
「丁巳(ひのとみ)」大正6年(1917)
「戊午(つちのえうま)」大正7年(1918)
「己未(つちのとひつじ)」大正8年(1919)
「庚申(かのえさる)」大正9年(1920)
「辛酉(かのととり)」大正10年(1921)
「甲子(きのえね)」大正13年(1924)
「乙丑(きのとうし)」大正14年(1925)
「乙丑(きのとうし)」大正14年(1925)
「丙寅(ひのえとら)」大正15年(1926)
「桜天神(さくらてんじん)」昭和2年(1927)または昭和3年(1928)
「己巳(つちのとみ)」昭和4年(1929)
「丙午(ひのえうま)」昭和41年(1966)
「丁未(ひのとひつじ)」昭和42年(1967)
「壬戌(みずのえいぬ)」昭和57年(1982)
干支の刻印は大正4年から十二支を一回りした後廃止され、昭和2年より2年間は「桜天神」と刻まれるが、昭和4年に再び干支が刻まれるようになり今日まで続いている。それぞれにある刻印をみると、年代によって刻む方法が異なっていることがわかる。
写真5 大正4年の刻印
写真6 昭和42年の刻印
写真5の刻印では、型から起こした後の生乾きの素地に直接干支の印を押し当てているため、印影が素地表面より凹んでいる。それに比べて写真6の刻印では、型の方に干支と干支を囲む楕円の線を彫刻し、成形の際その部分に粘土が入るため、型から起こすと文字が表面より盛り上がって出ている。さらに近年の桜天神の鷽は、型に2~3㎝の楕円の線のみ彫刻し、成形、素焼き、彩色後、盛り上がった楕円の中に干支が黒いスタンプで押されている。また成形方法も変化しており、粘土を型に押し込むのではなく、液状にした粘土を型に流し込む「鋳込み(いこみ)」という方法で成形されているようである。鋳込み成形にすることによって、形だけでなく、素地の厚みや重さがすべて同じものをより速く造ることが可能となる。その一方で彩色では一つ一つ手で描かれているため、ひとつとして同じものはなく、多くの鷽を仕上げるには大変な時間を要するだろう。
鮮やかな色が施された翼や優しい顔の表情は大正4年の創始から変わることなく受け継がれているが、作者が変わる中で時代の流れに合わせた造り方へ変化する様子も資料からよみとることができる。
(臼井裕香)
※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。