コレクション

高蔵遺跡の円窓付土器

あなが開き、底にあしのついた壺

円窓付土器

 弥生土器の壺や甕の中には、胴部上半に開けられた拳ほどの孔(あな)がひときわ目を引く土器があり、その姿から円窓付土器と呼ばれる。装飾や文様をほとんど施さず、楕円または正円の形をした胴部の孔(以下、円窓)を特徴とする。弥生時代中期以降の尾張南部の遺跡を中心に出土し、周辺部のみで短期間に生産されたことから尾張地域特有の土器と評価される。特に朝日遺跡(清須市・名古屋市西区)からは300点以上と、他の遺跡に比べ突出した出土量を誇る。このような円窓が胴部に開けられた土器については、同時期または少し遅れて、近畿、関東、北部九州でも製作された。

 当資料は、高蔵遺跡から出土した台付円窓付壺(だいつきまるまどつきつぼ)で、平成29年(2017)に寄贈を受けたものである。高蔵遺跡は熱田台地上に広がる弥生時代の大規模な集落遺跡であり、環濠や竪穴住居、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)などが見つかっている。また、尾張の弥生土器編年の一標式ともなっている高蔵式の土器や赤彩のパレススタイル土器など遺物も豊富に出土している。円窓付土器の存在が最初に報告された遺跡で、これまでに数点確認されている。この台付円窓付壺は遺跡範囲内にあたる熱田区外土居町に所在する大乗教会の工事中に偶然発見されたという。

 稜の無い丸みを帯びた算盤玉(そろばんだま)状に脚台が付く広口壺(ひろくちつぼ)で、口縁部(こうえんぶ)は大きく欠けているが、土器全体の約70%が残存する。円窓は焼成前に開けられたもので、復元すると縦8.1㎝、横8.9㎝のやや横長の楕円形である。外面は頸部から胴部中央にかけて斜方向のハケメで調整し、内面底部には脚台成形時についたと考えられるユビオサエの痕が残る。胴部背面中央には焼成時の黒斑(こくはん)がある。弥生時代中期末のものである。

土器の内面底部についた指の痕

内面底部の指の痕

土器を焼くときに付いた黒い痕

背面の黒斑

 円窓付土器を考えると、いったいどのように使用されたのかという点に関心が及ぶ。壺や甕の胴部にぽかりと大きく円窓を作る点で、貯蔵・煮沸の器として使われたとは考えにくい。円窓は焼成前と焼成後に開けられたたものがあり、円窓を開ける行為や用途に大きな意義があったことは確実である。ただ残念なことに、使用状況の分かる出土遺構や土器本体の痕跡が乏しく、機能・用途・意義について未だ判然としていない。
 これまでの研究ではいくつかの可能性が言及されている。まず、墓への供献土器(きょうけんどき)であった可能性が一つ想定できる。小さな穿孔や一部が破砕された土器については、各地の方形周溝墓から見つかっており、本来の壺・甕の機能を失わせている点から、墓へ供えるための土器として捉えられている。円窓付土器の多くも、墓地あるいは墓地に隣接する地点で出土している。墓の上や周溝内に供えられ、墓域での葬送儀礼に用いられたようである。
 一方で、環濠や住居跡、貝層や土坑などからも出土し、他の日常的な土器類と混在する場合も多い。一定の目的で使用した後、不要となった土器を環濠などに廃棄したようである。こうした出土状況から、円窓付土器の使用頻度は高く、日常的・継続的な役割があったことも想定されている。
 また、円窓付土器の分布や出土量は偏りがある。尾張南部の中でも、朝日遺跡からの出土数は300を超え突出した量となっている。弥生時代を通して拠点集落である瑞穂遺跡(名古屋市瑞穂区)・高蔵遺跡からも数点以上出土している一方で、他の遺跡からはほとんど出土していない。朝日遺跡を発信地として、一部集落にのみ広がるようにも捉えられる。円窓付土器が介在する集落間の特殊な交流関係があったことも考えられるだろう。

 円窓付土器に関わる諸問題については推定の域を出ていない。当資料は比較的出土例のある高蔵遺跡の一つに加わり、今後円窓付土器を探る上での参考資料となる。

 (西澤光希)

台付円窓付壺 弥生時代 高蔵遺跡(名古屋市熱田区外土居町)出土 器高38.8㎝、胴部径20.8㎝、口径(復元)14.4㎝

※本資料は常設展に展示してあります。

参考文献

  • 高橋信明「円窓付土器考―その1―」『考古学フォーラム』6,愛知県考古学談話会,1995
  • 伊藤淳史「円窓付土器からみた弥生時代の交流」『川から海へⅠ』(平成14年度秋季特別展),一宮市博物館,2002
  • 永井宏幸『朝日遺跡Ⅷ』愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第158集,財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター,2009