コレクション

御軍用図引 金城眺望録

 名古屋城天守からの眺望を記録した3件の図を中心にあわせて名古屋城の範囲、建設の経緯、天守の概要、尾張国と周辺諸国の位置関係についての記事を収録した書物である。

 本書の大半は、名古屋城天守から360度全方位の眺望を描いた絵巻で、図1はその西方部分にあたる。ほかに天守閣を円の中心において円周上にこの絵巻とほぼ同じ内容を描いた図2、天守の最上階から見える山や神社、仏閣、町や村などを放射線状に文字で記し、天守からの方角と距離を示した「御天守五重目見通方角」図3を収録している。防衛の中心拠点である天守と名古屋城、さらに尾張国をとりまく周辺の山、川、海、町、村、神社、仏閣などの位置関係を示す資料としてまとめられたものであろう。>

 3件の図は『金城温古録(きんじょうおんころく)』にも収録されている。同書は、前半の完成は万延元年(1860)だが、その編纂は文政四年(1824)、「御軍用補訂」と称する尾張藩の軍備体制見直しのための名古屋城の調査に『金城温古録』を編さんした奥村徳義(おくむらかつよし)が参加したことに端を発している。本書の書名の一部にも「御軍用」の文字があるところからこの「御軍用補訂」の一環としてまとめられた記録と推定される。ちなみに、本書は現在絵巻というべき巻子装に仕立てられているが、もとは冊子本で、綴じを解体して各丁を繋ぎ巻子装に仕立て直したものである。

 『金城温古録』には、図1の原図の写しが「遠見絵巻物」として収録されており、八代藩主宗睦の弟にあたる松平勝長(1737~1811)が「天守を中央として四方の遠景を、備えのために」勝長の絵の師である岩井正斎に描かせたものとある。

 一方、図3の円形眺望図の原図は、180㎝四方の大型絵図で円周上の眺望図が絵巻と同程度に詳細にえがかれた図(名古屋市蓬左文庫蔵『尾張絵図』ほか)が確認されている。この図は、宝暦二年(1752)に実施された天守の傾きを修正する大修理の際、同五年にまとめられた資料の中にも含まれており、この図を参考に「遠見絵巻物」が制作されたのではと推定されている。(研究ノート「伝狩野伊川院栄信筆「金城見通之図」(徳川美術館蔵)を読み解く」(葵104号)

 なお、平成29年(2017)に徳川美術館が購入し、展示公開された「金城見通之図」には、冊子本の痕跡はなく巻子装で岩井正斎が描いた「遠見絵巻物」の原図に最も近い写しと推定されている。筆者は幕府御用絵師木挽町狩野家八代栄信(1775~1828)、制作年代は栄信が法印を名乗った文化16年(1816)以降とするとこの絵巻の写しの制作も「御軍用補訂」と無関係ではなさそうである。
(桐原千文)

なごやじょうてんしゅからのちょうぼうえまき

図1

なごやじょうてんしゅを中心に円形に描いたちょうぼうず

図2

なごやじょうてんしゅを中心にほうしゃせんじょうにしるした山、町、村、じんじゃ、ぶっかくなどの配置図

図3

御軍用図引 金城眺望録
江戸時代後期写
巻子装 縦28.1㎝ 長さ1153㎝

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。