鳥形鈕蓋付脚付短頸壺
蓋の頂きに留まる鳥が愛らしい古墳時代の須恵器の逸品。
三段四方向に孔をあけた脚を付けた短頸壷と、鳥形の鈕をつけた蓋からなる。
鳥形の装飾は、くちばしが平らで眼が大きく表現されていることが特徴的である。羽は明確には表現されず、胴部には背中と左右側面のそれぞれに三つの穴をあけている。
全体的な表現は簡略化されており鳥の種別まで推定することは困難であるが、くちばしの形状から判断すると水鳥を表現しているのかもしれない。
ちなみに、鳥の胴部は空洞となっており現在土粒が入っているため振ると「からから」と音がするが、これが製作時に意図されたものかどうかはわからない。
脚付短頸壺は、形状から6世紀末から7世紀前半頃のものと考えられる。この種の須恵器は古墳から出土することが多いため、この須恵器も古墳などでの祭祀に使用された可能性が高い。
昭和2年ごろに瑞穂区師長町で出土とされるが、詳細は不明である。
古墳時代の須恵器には、馬や犬などの動物や人・器物などの飾りを付けた装飾須恵器が少ないながらも存在する。そのなかで、鳥形の装飾を付けたものは、東海地方(三重・岐阜・愛知・静岡県)に多く分布し、現在までに知られる36例中16例が愛知県に集中する。
鳥は様々な文化で魂や異界の象徴とされる。古事記・日本書紀などでもヤマトタケルが死して白鳥と化して飛び去ったという伝承が記されている。
装飾須恵器自体が、古墳などの祭祀の場で使われたもので、古墳時代の人々の神話・伝承などの精神世界を表現したものと考えられる。当地域の古墳時代の人々の間にも、鳥をモチーフとした器物が使用されるような何かしらの伝承があったのであろう。
なお、この資料は平成27年3月にまとめて博物館に寄贈された小栗鉄次郎が収集した考古資料のうちの一つである。小栗鉄次郎(1881-1968)は、主に西加茂郡の小学校の教師として勤務した後、愛知県史跡名勝天然紀念物調査会主事として愛知県内の文化財保護に尽力した。愛知県内の多くの遺跡の調査を行い、戦中には国宝の名古屋城障壁画などの疎開に尽力するなど、昭和前期の愛知県の考古学・文化財保護に大きな足跡を残した人物である。氏のコレクションは名古屋市や愛知県の遺跡や文化財を語るうえで欠かせない資料群であり、この資料は古墳時代の須恵器の逸品であるとともに、小栗コレクションを代表する重要な資料でもある。
(瀬川貴文)
重要美術品 鳥形鈕蓋付脚付短頸壺
瑞穂区師長町出土 古墳時代後期
※本資料は常設展テーマ3「古墳とその時代」に展示しております。