コレクション

いせさんぐうずびょうぶ
伊勢参宮図屏風

 桜の咲き誇るうららかな春景色、川を渡し船で渡った人々が、繁華な町並みを抜け、大きな神社の社殿へと至る情景を描き出した屏風である。社殿にかかる「太神宮」と書かれた御幌にくわえ、門前町で売られる土産物や、渡し場付近の習俗から、伊勢神宮、それも五十鈴川に宇治橋が架かる内宮ではなく、宮川を渡し船で渡る外宮への参宮の姿と推定される。

 平成25年は伊勢神宮の式年遷宮にあたり、様々な神事が執り行われ、全国的に注目を浴びた。伊勢の町には世界から集まった参拝客があふれ、またそれをマスコミが報道し・・・と伊勢フィーバーの加熱する様を見るにつけ、江戸時代に何度か訪れたおかげ参りの流行を彷彿とさせた。

 伊勢神宮は皇室の祖神をまつる国家の宗廟であり、古代においては天皇自身のみが祭祀を執り行う権利をもち、皇太子ですら御幣を捧げるのに勅許が必要なほどであった。それが、律令制が崩れて国家の補助が行き届かなくなった平安時代半ばから、貴族、地方豪族からの奉納を受け入れるようになり、鎌倉時代には一般人の参宮をむしろ積極的に勧誘する様に変化していった。室町時代の末期になると、地方の庶民が共同で参宮費用を積み立てる伊勢講も生まれた。桃山時代にイエズス会のルイス・フロイスは、平民も貴族も身分を問わず参宮におもむく様を見、伊勢神宮に行かない者は人間の数に加えてもらえないと思っているようだと感想を記している。実際、江戸時代には一生に一度の伊勢参宮を社会人としての義務としてみる地域もあった。

 伊勢参宮は江戸時代には広く庶民に普及し、道中記などは多く著されている。しかし、その様子を絵画化したものは、江戸時代前・中期には不思議と描かれていない。桃山時代から江戸時代初期にかけては、参詣曼荼羅と呼ばれる、参詣者にあふれる寺社の様子を描いた絵図が参詣客の誘致に用いるために各地の霊場で作られ、伊勢神宮についても数本が伝存している。また19世紀のおかげ参りの盛行の時期には大量の浮世絵版画が作られているものの、しかしこの間に空白期間があるのだ。

 この屏風は、その空白期間を埋めるきわめて重要なピースとして注目される。それでは描かれている年代を絞り込んでみよう。

渡し場

渡し場の人々

 画面右側、渡し船に続々と訪れる参拝客たち。伊勢参宮のトップシーズンは春先であり、渡し場には桜が咲き誇る。外宮に至る渡し場には江戸初期まで使われた柳の渡しと、それ以降メインとなった桜の渡しがあり、この絵では桜の渡しを描いているようである。

女性

菊模様の着物の女性

 川のほとりにたたずむ女性は左肩に大輪の菊を咲かせ、胸から腹にかけて葉を垂らした大胆なデザインの小袖をまとっている。これは寛文期(1661~72)を中心に流行したデザインである。

ぜにや

銭屋

 また、画面左側には店先に銭緡(ぜにさし)を並べた銭屋が描かれているが、これは貞享2年(1685)に禁止された、賽銭用の私鋳銭「鳩目(はとのめ)」ではないかと推測されている。社殿にぬかずく人々がこの鳩目らしい賽銭を捧げている。ほかの人物の服装、髪型などを勘案しておよそ、寛文・延宝期(1661~81)前後の様子を描出したものと考えられよう。

 これまで、江戸時代前期の伊勢参宮風俗の絵としては、慶安元年(1648)から寛文9年(1669)頃の風景を描いた「伊勢両宮絵図」(神宮徴古館蔵)という絵巻のみが知られていたが、それに続く時期の景観を描き、屏風装という大画面のものとしては本作が最も古い作例である。

社殿

社殿

 門前の町並みは、卯建(うだつ)の上がった板葺き屋根が連なり、京町家の風情を写したかのようである。伊勢神宮の鳥居は、丸太を組み合わせた簡素な神明造りが特徴だが、本図は反りをつけ、神号を掲げた額束(ぬかづか)を備えた明神造りで描いてしまい、あとで額束を塗りつぶしている。また神宮の社殿は屋根に組み合わされた丸太、千木(ちぎ)が特徴的だが、先端の処理が内宮と外宮で異なっており、本屏風では水平に切る内宮式である。

おしろいや

伊勢白粉屋の店先

 絵師の誤解は多々あるものの、渡し場の川原祓の巫女や髪結床などの参宮風俗にくわえ、当時伊勢土産としてよく知られた伊勢白粉、貝杓子、火縄などのグッズを取りそろえ、トップシーズンに賑わう観光地の雰囲気を見事に描き出している。一生の思い出として参宮したであろう、この屏風の注文主の土産話をおおいに盛り上げたことであろう。

 この屏風は平成23年に市内の個人からご寄贈いただいたものである。旧蔵者自らの手で丁寧な補修がされてきたものの、骨組みがゆがみ、本紙が剥離するなど構造が弱体化しており、これまで本格的な活用は見送られてきた。このたび「名古屋市教育基金 よみがえれ文化財」の対象となり、平成26年度に本格修理を施すこととなった。寄付にご協力いただいた市民の皆様に深甚の感謝を申し上げるとともに、あらためてご披露できる日を楽しみにしている。

(山田伸彦)

追記:この屏風は平成26年度に修復され、翌年に修復作業に伴う新知見とともに常設展にて披露された。ついで平成29年度に名古屋市の指定文化財に指定された。また、喜ばしいことに平成31年には対となる内宮を描いた左隻部分が東京都の根津美術館で発見された。左右一双がそろったことにより、さらなる発見・活用が見込まれる。

紙本金地着色 六曲一隻 縦104.0cm 横316.8cm

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。