特別展 アンコール・ワットへのみち インドシナに咲く神々の楽園

コラム

担当学芸員がみたカンボジアの歴史風景

 特別展『アンコール・ワットへのみち』の準備のため、2014年12月にカンボジアへ現地調査に行きました。中国を専門のフィールドとする私にとって、一度ベトナムに見学旅行に行ったのを除けば、東南アジアは未知の地域でした。しかし、一つの国でなくアジアというスケールの歴史世界に挑戦したい私にとっては、いつか足を踏み入れてみたかった地域でもあり、今回の初めてのカンボジア調査旅行はまたとない機会となりました。

 カンボジアの首都プノンペンに到着し、そこを起点に最初に訪れたのが、カンボジア古代史の始まりの地ともいうべき、メコン・デルタ地帯。東南アジア最大の大河・メコン川下流域に広がる、水運と水田耕地に恵まれた広大な低湿地地帯であり、古代カンボジアの初期王国・扶南が繁栄した地域です。抜けるような青空の好天のもと、自然河川やクリークなど中小の水路が編み目のように交錯し、あたり一面が海のような広大な水の世界が眼前に広がりました。乾季に入ったとはいえ、雨季の名残りをいまだとどめる季節のこと、本来なら見渡すかぎり水田であるはずの一帯はかなりの範囲が水没しています。ここで漁撈をする人々や、そこで泳いで遊ぶ少年たちに出会いました。その水辺の彼方に、6~7世紀の扶南国の都アンコール・ボレイと、その南方に位置する寺院遺跡プノン・ダを望みます。美しい青空と見渡すかぎりの水、青々とした穂を揺らす稲、その環境に取り巻かれた往時の姿をとどめる遺跡の風景に圧倒されて、この風景をなんとか自分のものにしたいと、次々にカメラのシャッターを切ります。

 メコン・デルタから一転して、アンコール王朝が歴代の都を置いたカンボジア内陸部のシエム・リアップを訪れました。アンコール地方はクレーン山南麓の扇状地からなる平野で、平野のところどころに山や丘が点在します。夕方、サン・セットの絶景を見られる観光地としても人気のプノン・バケーンに登りました。バケーン寺院遺跡の黒い影越しに、赤・オレンジ・黄がグラデーションになった幻想的な夕景を望みます。アンコール王朝時代の人々がこの景色に、地上に遊んだ神々が天に帰りゆくようすを見たとしても不思議ではありません。

 そんな風景のなかに堂々たる存在感を放つアンコール・ワット、アンコール・トム、バイヨン寺院には、神々のもたらす権威と平和を地上に具現化した華やかさと神聖さを感じます。その異様とも感じるほどの魁偉な容貌は、まさしくアンコール王朝の絶対的な中心シンボルとして、人々の心を鷲掴みにするに十分です。さらにアンコール周辺では、野望と畏怖を感じさせる圧倒的かつ神秘的なコー・ケー遺跡群、アンコール美術の最高傑作ともいわれる華麗なバンテアイ・スレイ寺院、アンコール王朝滅亡後の密林に覆われた風景を彷彿とさせるベン・メリア遺跡やタ・プローム遺跡など、カンボジアのさまざまな時代を感じさせる風景を、尽きることないほどに見せつけられるのです。

 カンボジア調査はわずか1週間ほどの期間でしたが、歴史性豊かな風景に心を揺さぶられることの連続で、気持ちはもうお腹いっぱいでした。クメールの人々の世界はこんな風土と風景から始まり展開したのだ、ということを肌身で感じる調査旅行でした。壮大な歴史的感動が心の底にずしん、と溜まるカンボジアの旅、みなさんも特別展『アンコール・ワットへのみち』をきっかけに、行ってみてはいかがですか。

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