特別展 名古屋には秀吉がおるでよ!秀吉と尾張の歴史 音声読み上げ用テキストページ

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展覧会の概要

いちだいで天下人となった豊臣秀吉。その波乱に満ちた人生は、広く知られています。秀吉の出生地は現在の名古屋市中村区と言われますが、尾張国と秀吉との関係はそれだけではありません。彼は若くして故郷を離れますが、尾張国を政治的に重要視し、特に天下統一後から関係を深めていきました。名古屋を中心とする尾張地域に残る伝説や伝承地は、そのつながりを今に伝えています。本展では、これまであまり注目されてこなかったふるさと尾張との関係を軸に、秀吉の生涯をたどります。
展覧会概要おわり。

プロローグ 尾張国中村で誕生

豊臣秀吉は天文6年(1537年)に生まれたといわれていますが、当時のことは確実な資料がなく、よくわかっていません。「秀吉がどこで生まれたのか?」についても、かつては尾張国中村、萱津、清須、美濃国や近江国など、様々な説がありました。近年、秀吉死後の書物や伝承を比較検討する研究が進み、現在では尾張国中村(現在の名古屋市中村区)が定説となっています。秀吉の人生は尾張国中村からはじまったのです。
プロローグ解説おわり。

二次元コード読み上げ資料1 太閤記

万治4年(1661年)刊 おぜ ほあん著 名古屋市博物館ぞう
最も早く成立した秀吉の一代記です。江戸時代に創作された秀吉の伝記類に大きく影響を与えました。秀吉の父は愛知郡中村の住人で、秀吉もその地で生まれたと記しています。脚色が多いものの、他の資料との比較などから、秀吉の出生地については確かであると考えられています。
資料1解説おわり。

第1章 天下統一への道のり

秀吉は若い頃から織田信長に仕えました。信長のもとで多様な仕事を経験し、家臣団の中心的な存在になっていきます。本能寺の変で信長が死去した後も、家臣時代に学んだことや人とのつながりを活かしながら、数々の戦いを経て天下統一へと歩みを進めます。本章では、信長家臣としての秀吉を紹介するとともに、信長死後、秀吉の大きな転機となる小牧長久手の戦いと小田原の戦いに注目します。
第1章解説おわり。

第1せつ 信長家臣時代

信長の上洛後、秀吉は信長の京都支配を支えるため、寺社や公家との交渉を行いました。合戦の際には、鉄砲や火薬の調達に奔走しました。秀吉はこうした仕事を通し、交渉する力をつけ経済の知識を深め、信長死後の跡継ぎを決める清須会議を主導する重要な立場になりました。この会議で、尾張の領主は信長の次男、のぶかつに決まりました。
第1せつ解説おわり。

二次元コード読み上げ資料2 ながしの合戦図屏風

江戸時代前期 名古屋市博物館ぞう
てんしょう3年(1575年)のながしのの戦いで、信長、徳川家康軍が戦う姿を描いた屏風です。火縄銃は最前線(屏風の右端)で用いられ、敵を迎え撃つ様子が描かれています。
資料2解説おわり。

第2せつ 天下統一へ

信長死後、秀吉は各地の対抗勢力と争います。のぶかつと対立した秀吉は織田家の旧臣達を味方につけ、てんしょう12年(1584年)に小牧長久手の戦いに臨み、信長後継の地位を確立しました。その後関白となった秀吉は、てんしょう18年(1590年)小田原の戦いで後北条氏を破り、全国を治め名実ともに天下人となりました。戦後、秀吉はのぶかつを追放し、尾張に甥のひでつぐを配しました。
第2せつ解説おわり。

二次元コード読み上げ資料3 小牧長久手合戦図屏風

江戸時代中期 名古屋市博物館ぞう
てんしょう12年(1584年)4月9日の長久手での戦いの様子を描いた屏風です。秀吉軍を急襲する徳川家康軍を中心に描いています。この戦いで、もりながよしや池田つねおきといった秀吉方の主戦力が戦死し、秀吉軍には大きな痛手となりました。
資料3解説おわり。

二次元コード読み取り資料4 位記

てんしょう13年(1585年)7月11日 重要文化財 名古屋市博物館ぞう
小牧長久手の戦いの翌年、秀吉が関白に任命された同じ日に「従一位」を与えられた もんじょです。これにより、秀吉は天皇に次ぐ最高位となりました。内容を確認した主要な官職者の中に「じゅうさんみ のぶかつ」とあり、のぶかつを凌ぐ立場となっていたことがわかります。
資料4解説おわり。

第2章 天下人秀吉と尾張

本能寺の変の後、尾張国は織田信雄が領主となりましたが、小牧長久手の戦いを経て秀吉の影響力が強まっていきます。秀吉は天下統一後、甥の豊臣秀次を尾張の領主とし、自身も支配にのりだしました。ひでつぐの失脚後は、尾張国の半分を直轄領とし、新たに領主となった福島正則の支配にも関与します。本章では、この時期の尾張国の変遷をたどり、天下人となった秀吉がこの地をどのように支配し、尾張の人びととどのように関わったのかを探ります。
第2章解説おわり。

第1せつ 織田信雄の尾張支配

尾張国は信長の死後も織田氏の領国でした。のぶかつは土地を把握するため、尾張国で初めての検地を実施します。1585年に起きた天正の地震後、のぶかつは再度検地を行い、被災状況の把握と、それを踏まえた家臣団の再編成を行います。秀吉は小牧長久手の戦い後から、のぶかつを通し尾張に命令をするようになり、その影響力を強めていきました。
第1せつ解説おわり。

二次元コード読み取り資料5 織田信雄ぶぎょうにん れんしょじょう

てんしょう11年(1583年)8月19日 名古屋市指定文化財 名古屋市博物館ぞう
織田信雄の奉行人が、家臣の坂井としつらに土地の支配を命じた もんじょです。文中に「土地の調査後に、結果を書き添えた のぶかつからの正式な文書を渡します。」とあり、検地の前に出された仮の証書であることがわかります。
資料5解説おわり。

第2せつ 豊臣秀次の尾張支配

小田原の戦いの後、秀吉はのぶかつを改易し、豊臣秀次を尾張の領主にしました。当初ひでつぐは東北に出陣中のため、秀吉が領主交代の手続きを進めましたが、これは異例の対応といえます。翌年、関白になったひでつぐは、京都を拠点としつつ、検地など尾張の政治に積極的に取り組みました。秀吉はその支配に介入し、災害で荒廃した尾張の復興を主導しました。
第2せつ解説おわり。

二次元コード読み取り資料6 豊臣秀次朱印状

てんしょう20年(1592年)2月1日 名古屋市博物館ぞう
豊臣秀次が、尾張で実務を行っていたぶぎょうにん、徳永ながまさに、尾張国内の検地を行うよう命じたものです。尾張で初めて行われた太閤検地といえます。これにより国内の状況が把握され、年貢収納の体制が整っていきました。
資料6解説おわり。

二次元コード読み上げ資料7 てんしょう大判

けいちょう14~17年(1609~1612年) 名古屋市博物館ぞう
てんしょう大判は、豊臣氏がてんしょう16年(1588年)から鋳造した大型の金貨で、主に公家や家臣に褒美として配ったといわれます。中央に「拾両」と記され、重さは165gあります。秀吉はそれまで定まっていなかった1両の重さを統一し、貨幣の鋳造を京都の後藤けに命じました。当資料は秀頼の代に製造されたものです。
資料7解説おわり。

第3節 太閤秀吉の尾張支配

領主ひでつぐが失脚し、切腹した後、すぐに秀吉は動揺する尾張国の領地の差配などを行いました。新たに尾張の領主となった福島正則は、たびたび秀吉の意をうけた命令を出しています。また、尾張国の半分は秀吉の直轄領となりました。秀吉は天下統一後から生涯を通し、尾張国にはいつでも自分の意思を反映できるような体制を維持しました。
第3節解説おわり。

二次元コード読み取り資料8 豊臣秀吉朱印状

ぶんろく4年(1595年)8月3日 個人ぞう
秀吉が、熱田の有力者・加藤かげのぶに与えた領地の目録です。この土地は、ひでつぐの失脚に伴い、その家臣から没収した土地と思われます。秀吉は、自らひでつぐ失脚後の領地の配分などを行いました。
資料8解説おわり。

二次元コード読み取り資料9 太閤花見図屏風

桃山時代 名古屋市博物館ぞう
屏風の右隻に桜に彩られた鐘楼やついじべいが描かれ、左隻に描かれた3人の人物がそれを眺める構図となっています。人物のうち、一番右側に描かれているのが秀吉です。境内整備などで秀吉の恩恵を受けた寺社の関係者が、秀吉の死後、追慕して描かせたのかもしれません。
資料9解説おわり。

エピローグ

けいちょう3年(1598年)8月にこの世を去った秀吉は、京都のとよくにしゃに祀られ、人びとの信仰の対象となりました。けいちょう5年(1600年)、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、家康のよんなんである、ただよしが尾張国の領主となり、その後、代々徳川氏が治めます。しかし現代もなお、名古屋を中心にした各地には、ひでよしにまつわる史跡や伝説が残っています。今に伝わる、尾張の人びとが大切にした秀吉との関係を探す旅にでかけましょう!
エピローグ解説おわり。

二次元コード読み取り資料10 ほうこくさいれいずびょうぶ

江戸時代前期 名古屋市博物館ぞう
けいちょう9年(1604年)、京都のとよくにしゃで秀吉の七回忌に行われた祭礼を描いた屏風です。様々な仮装をした風流おどりの一団が門前に見えます。当時の記録には、この時、秀吉が好んだとして尾張国津島社天王祭の囃子「津島笛」が奏でられたとあります。
資料10解説おわり。

二次元コード資料11 尾張名所図会より尾張国愛智郡中村の図 前編5巻。

てんぽう15年(1844年)刊 名古屋市博物館ぞう
尾張国の名所産物等を記した地誌です。尾張国中村は秀吉の出生地として紹介され、関係する地が数多く記されています。「太閤手植の柊」などが当時から名所とされていたことがわかります。
資料11解説おわり。