企画展「戦前を生きる~収蔵品が伝えるココロ~」
先の大戦が終わることで今の私たちにつながる戦後が始まりました。しかし、憲法など国の根本や色々な常識は違えども、戦前の人々は“当時の当たり前”の中で今の私たち同様、毎日を精一杯生きていました。約半世紀にわたる名古屋市博物館の戦前期の収集品を見つめ、物の向こう側に確かに存在した人々のココロに近づきたいと思います。
※本展では、太平洋戦争終戦までの時期の日本を、「戦後」に対する「戦前」として扱います。
展覧会名称 |
企画展「戦前を生きる~収蔵品が伝えるココロ~」 |
---|---|
会期 |
令和5年1月21日(土曜)~3月5日(日曜) |
休館日 |
毎週月曜日・第4火曜日(1月24日、2月28日) |
開館時間 |
9時30分~17時(入場は16時30分まで) |
会場 |
名古屋市博物館 1階 特別展示室 |
主催 |
名古屋市教育委員会・名古屋市博物館 |
区分 | 単独券 | 常設展との共通券 |
---|---|---|
一般 |
300(250)円 |
400(350円) |
高大生 |
200(150)円 |
300(250円) |
中学生以下 |
無料 |
無料 |
市内在住65歳以上 |
100(80)円 |
200(110円) |
戦前は、君主である天皇の名で、国民に対する天皇の意思の表明「詔勅(みことのり)」がしばしば発せられました。例えば教育理念については「教育勅語」が、また軍人精神としては「軍人勅諭」が、国会などが定める法令とは別に出されました。やがて絶対化されていく勅語類に関係する資料と、それらに基づく修身(道徳)教育の資料を紹介します。
御真影御勅語奉安庫
名古屋の国民学校で作られた天皇の真影(写真)と勅語の保管庫です。非常時にすぐ持出せるようランドセル状のカバンが付属しています。
明治・大正・昭和の三代の天皇が、宿泊を伴う行幸で来名しています。その際の天皇の移動はまさにパレードでした。市民にとっては天皇を現実に感じる極めて稀な機会で、国側からすれば君主である天皇を臣民の目にアピールできる絶好のイベントでもありました。今回は大正・昭和の陸軍特別大演習と昭和の即位式途次宿泊の資料を紹介します。
即位大典名古屋宿泊関係資料
昭和の即位礼は昭和3年(1928)京都御所で行われ、昭和天皇・皇后はその往復とも名古屋離宮に一泊しました。
徴兵制度があった大日本帝国では男性には兵役義務があり、軍隊は生活の一部分でした。しばしば戦争があったために、召集が出征に直結することも多々ありました。出征兵士は残してきた人々を、残された人々は戦地の兵士を思う、そんな跡を多くの資料に見ることができます。「武運長久」も、凱旋、つまりは生還してほしいという願いでもありました。
前線の兵士から子に届いたハガキ
フィリピンに出征して帰還できなかった父親が、家族にあてて送り続けた通信類の一枚です。
昭和にはキャッチコピーと優れたデザインの絵とを組み合わせたポスターが、宣伝効果の高いメディアとして多用されます。国の方針などもスローガンとしてポスターに盛んに登場し、街にあふれました。また昭和10年代になると、母親による絵本の読み聞かせまでもが、幼少期から軍や国策になじむための方策として期待されるようになっていきます。
軍事機密の保護を訴えたポスター
どこにスパイがいるかわからないから気をつけろ、そもそも軍事秘密に接触するようなこと自体を避けよ、と呼びかける大判のポスターです。
昭和19年(1944)夏、名古屋市の国民学校は東海三県の各地に分散して集団疎開しました。疎開生活は昭和20年(1945)8月の終戦後もしばらく続きました。親元を離れ全く終わりの見えない集団生活と不衛生、慢性的な食糧不足は児童にとって過酷なものでしたが、疎開生活を無限に運営し続けなければならなかった教員にとっても初体験の苦労の連続でした。
正木国民学校の学童疎開資料
本校から現地への連絡文には、保護者や役所への対応に苦慮する教員の本音が率直に記されています。
城下町であった名古屋は、昭和になっても、名古屋城に代表される歴史的風情があふれる都市でした。しかし終戦直前、空襲で市街の大半を焼き尽くされました。市民は家など生活の基盤を失っただけでなく、故郷の風景をも喪失したのです。昭和20年(1945)以前には確かにあった景観を、絵葉書として遺された写真によって建築物を中心に紹介します。
名古屋の古風景を伝える絵葉書
数多くの古建築物や近代的な町並みは、当時の流行メディアともいえる絵葉書に盛んに採用されていました。
昭和20年(1945)の名古屋は、昼夜の別なく毎日のように警報が鳴り、空からはアメリカ軍のB29爆撃機の編隊から爆弾や焼夷弾が落とされ、それに対抗して地表からは高射砲を撃ち上げる、まさに戦場でした。つまり市民全てが戦場に放り込まれたのです。「銃後」はもう街のどこにも存在しませんでした。その渦中で書かれた個人の日記などを紹介します。
B29空襲日誌
当時旧制中学生であった筆者が、昭和19年(1944)12月から翌20年(1945)3月の名古屋大空襲まで、B29の襲来と爆撃の様子とを記録したものです。
名古屋市電子申請サービスからお申し込みください。
募集開始は、展示説明会は令和5年1月5日(木曜)、講座は同1月12日(木曜)です。先着順にて受付、定員に達し次第終了します。またキャンセル待ちの受付はありません。
日時:1月28日(土曜) 13時30分 ~14時30分(開場13時)
会場:名古屋市博物館1階 展示説明室
講師:当館学芸員
定員:先着70名(事前申し込み)
※聴講無料
各回13時30分~14時30分(開場13時)
会場:名古屋市博物館1階 展示説明室
講師:当館学芸員
定員:各回先着70名(事前申し込み)
※聴講無料
マスク等、新型コロナウイルス感染症対策へのご理解・ご協力をお願いいたします。新型コロナウイルス感染症の影響により、展覧会の運営および関連事業を変更・中止する場合があります。ご来館の前に博物館公式サイト、SNSにて最新情報をご確認ください。