橘町350年
名古屋市中区の橘町は、寛文4年(1664)に尾張藩2代藩主光友によって命名され、今年で350年を迎えます。城下南端に位置した橘町には大木戸が設置され、番人が警備につくなど、城下の警備に重要な役割を果たしていました。そして、この橘町には二つの特権が与えられていました。
一つは、古鉄古道具商売に関する特権です。光友は橘町へ城下の古鉄古道具商を集住させ、町に専売権を与えました。これによって、他町で古鉄古道具商を営む者は、橘町へ届け出たうえで、鑑札を受けなければなりませんでした。通常、このような特権は同業者団体が持つため、町に与えられるのは特殊なことだったのです。
しかし、こうした特権を維持するのは大変だったようで、藩に対して、違法な商売の取り締まりを望む願書や、町触などの記録が町に伝えられています。
もう一つは、町に与えられた芝居の興行権です。年2回の芝居興行が許可されましたが、町が芝居小屋を経営するのは大変珍しいケースでした。
特権として認められた芝居ですが、明治3年(1870)には、清寿院(読み「せいじゅいん」)、若宮八幡の芝居や見世物興行との間で、興行をめぐって争っていたことが記録されています。名古屋城下で複数の興行を同時に行うと収益があげられないため、少しでも長く興行し、収益をあげようとしたために起きた対立でした。
古鉄古道具商や芝居興行を記録した古文書は、町の歴史を伝えるだけでなく、町に与えられた権利の正当性を主張するのに有効な証拠でもありました。町の由緒ともいえる古文書は、町によって受け継がれていったのです。
そして、それらの古文書は、いまも名古屋瑞龍工芸技術保存振興会によって保管されています。古鉄古道具商の系譜をひく、仏具商や仏具職人で構成される瑞龍工芸技術保存振興会が町の歴史を守っているのです。
今回のフリールームでは、町に伝わる古文書の他、大木戸や祭礼などを描いた資料、現代の仏具職人達で構成される名古屋仏具研究会の作品なども紹介します。江戸時代から続く町の歴史や伝統をご覧ください。
古鉄古道具鑑札
江戸時代
名古屋瑞龍工芸技術保存振興会蔵
古鉄古道具商定書
江戸時代後期
名古屋瑞龍工芸技術保存振興会蔵
古鉄古道具商の取り決めを箇条書きにしたもの。