展示

常設展テーマ10

将軍家・御三家の手紙

  • 平成26年8月19日(火)~9月15日(月・祝)

 江戸時代初め、徳川家康は3男の秀忠に将軍職を継がせるとともに、9男義直、10男頼宣、11男頼房を尾張・紀州・水戸に配しました。これが徳川御三家です。現在、将軍家や御三家の当主の間でやりとりした書状が残っています。当初は親子、兄弟、叔父甥など血縁が近い関係だったので、自筆書状も残っています。右筆(書記)が書いた書状でも、型にはまらず、親しさが伝わってきます。

 しかし江戸時代中期になると、書状の形式化がすすみました。とくに8代将軍吉宗のころには、署名・宛名の書き方や位置などが細かく規定されました。また大名が将軍に書状を出す場合、直接将軍あてにせず老中あてにしたり、逆に将軍も老中名で書状(老中奉書)を出したりしました。幕末になると、御三卿の一橋家や尾張徳川家が水戸徳川家の近親者となり、政情も緊迫してくるなどの理由で、型にはまらない書状形式が復活しました。

 今回の展示では、尾張徳川家の当主が出したり、当主あてに出された書状を時代順に紹介します。手紙の様式や内容がどのように変化するか、ご覧いただればと思います。またできる限り、書状の読み方もご紹介します。

とくがわよしのぶしょじょう

徳川慶喜書状(とくがわよしのぶしょじょう)
文久3年(1863)3月21日付 徳川慶勝あて